飛騨高山むかし話飛騨高山の昔話を紹介します! |
| [ おはなし ]・・・・・国分寺の大銀杏・・・味噌買い橋・・・猫石・・・盗人神様 |
国分寺の大銀杏 |
JR高山駅にほど近い国分寺通りに、医王山国分寺があります。境内には、高さ三十数メートルはありそうな大銀杏がそびえており、樹齢千二百年と云われています。『乳イチョウ』とも呼ばれ、根元から二、三メートルほどのところに乳形にたれさがった幹のコブがあります。樹皮を削って飲むと、お乳が良く出るとの言い伝えも残っていますが、今は天然記念物に指定されています。この大銀杏には、こんな悲話が伝えられています。 − 聖武天皇のむかし、塔の建立を命じられた飛騨の工匠の棟梁は、多くの工匠にそれぞれの仕事を分担させた。ところが一人の若い工匠が、うっかり柱を少し短く切ってしまった。困り果てた棟梁は、どうしたらいいものかと日夜思案にくれていた。その姿を見かねた娘の八重菊が、寸足らずの柱の上に桝組みをのせては…と父に助言した。 助言を聞き入れて、宝塔は無事完成した。桝組みは、柱の寸足らずを補ったということより、みごとな装飾の役割も果たしていて、棟梁の名声は天下に鳴り響きだした。 名声が高まるにつれ、桝組みの思いつきは娘八重菊の助言だと言えなくなり、それが娘の口からもれることを恐れるようになった。 ついに棟梁は、娘八重菊を殺して境内に埋め、墓標としてひそかに銀杏を植えた…。 それが現在の大銀杏だと、言い伝えられています。 |
みそかい橋 |
味噌買橋とは、現在のさんまち通りの西端宮川に架かる筏橋の通称です。むかし橋の向町の人々が、現在のさんまち通り西角にあった角屋藤兵衛の店へ味噌を買いに通った所から味噌買橋と呼ばれ、新しい民話まで生まれました。以前、柳田国男が高山に来た折りにもこの民話が話題となり、イギリスのロンドン橋の話と同じような内容になっていると不思議がっていたそうですが、実は、昭和のはじめ頃、高山の西小学校に勤めていた小林幹先生が飛騨の伝説を教え子達に集めさせて本にまとめた時、ロンドン橋の話を翻案し『味噌買橋の話』として挿入したのが、余りにうまくできているため日本民話の中にまでとりあげられるようになり、かつてテレビの『日本昔ばなし』でも放映されました。 − 昔、丹生川村の沢上というところに炭焼きの長吉という男がいた。長吉は、正直者でとてもよく働いた。 ある夜夢に誰か出てきて、『おい長吉、高山の味噌買橋の上で立っておれ。いいことがあるぞよ』と教えてくれた。長吉は朝起きるなり炭を背負って出かけ、その炭を売り払ってから味噌買橋へいって立っていた。 五日間も立っていたが何もいいことがなかったので、もう帰ろうかなと思っていると近くの豆腐屋のじじいが、『おめえは、もう長いことそこに立っておるが、どうしたんやの』と声をかけてきた。 そこで長吉は夢の話をすると、豆腐屋は『夢の話を真に受けるばかがあるか。おらもこの間夢を見たが、丹生川村の沢上というところの長吉の家の裏に杉の木がある。その木の根もとを掘ると、金銀宝物がどっさり出てくるとな。でも、そんな夢おらは真に受けん。ばかじゃないから…。』それを聞いた長吉は、えっと驚くなり自分の家へ走って帰った。そして、裏庭の杉の根もとを掘ったところ、本当に金銀宝物があふれるように出て、村一番の長者になった…。という話です。 |
猫石 |
高山の中央を流れる宮川の中橋詰めに高山陣屋があります。そこは飛騨国主金森氏の向かい屋敷として建てられ、金森氏が徳川幕府によって出羽の国へ移封されてから、江戸幕府の代官が派遣されるようになり、代官所と呼ばれていました。 明治維新までの約180年間、そこに勤める代官・郡代を飛騨びとは殿様と呼んでいました。 ある時、殿様の娘が猫を大変かわいがっていました。どこへ行くにも娘は猫を連れていき、猫も娘のそばを離れようとしませんでした。 ある日娘が裏庭に出て池の鯉を眺めていると、猫がしきりと娘にまといつき、娘の袂や裾をくわえて引っ張り、叱っても叱ってもやめようとせず、それどころか益々激しく娘にからんでいくので、このままでは娘に危害が及ぶと思ったお供の者が、一刀のもとに猫の首を打ち落としました。 すると切られた首は、飛び上がって頭上の松の大木に巻きついて娘を狙っていた大蛇の首に噛みつき、大蛇もろともドスリと落ちてきました。 この時初めて、猫が娘を守るためその場から 離れさせようとしていたことを知りました。 命にかけて娘を守ってくれた猫のために、庭の隅にねんごろに埋め墓じるしとして石を置きました。これが、現在も陣屋の裏通りに廻ると見ることができる猫石です。 |
盗人神様 |
諸願成就 |





JR高山駅にほど近い国分寺通りに、医王山国分寺があります。境内には、高さ三十数メートルはありそうな大銀杏がそびえており、樹齢千二百年と云われています。『乳イチョウ』とも呼ばれ、根元から二、三メートルほどのところに乳形にたれさがった幹のコブがあります。樹皮を削って飲むと、お乳が良く出るとの言い伝えも残っていますが、今は天然記念物に指定されています。この大銀杏には、こんな悲話が伝えられています。 − 聖武天皇のむかし、塔の建立を命じられた飛騨の工匠の棟梁は、多くの工匠にそれぞれの仕事を分担させた。ところが一人の若い工匠が、うっかり柱を少し短く切ってしまった。困り果てた棟梁は、どうしたらいいものかと日夜思案にくれていた。その姿を見かねた娘の八重菊が、寸足らずの柱の上に桝組みをのせては…と父に助言した。 助言を聞き入れて、宝塔は無事完成した。桝組みは、柱の寸足らずを補ったということより、みごとな装飾の役割も果たしていて、棟梁の名声は天下に鳴り響きだした。 名声が高まるにつれ、桝組みの思いつきは娘八重菊の助言だと言えなくなり、それが娘の口からもれることを恐れるようになった。 ついに棟梁は、娘八重菊を殺して境内に埋め、墓標としてひそかに銀杏を植えた…。 それが現在の大銀杏だと、言い伝えられています。
味噌買橋とは、現在のさんまち通りの西端宮川に架かる筏橋の通称です。むかし橋の向町の人々が、現在のさんまち通り西角にあった角屋藤兵衛の店へ味噌を買いに通った所から味噌買橋と呼ばれ、新しい民話まで生まれました。以前、柳田国男が高山に来た折りにもこの民話が話題となり、イギリスのロンドン橋の話と同じような内容になっていると不思議がっていたそうですが、実は、昭和のはじめ頃、高山の西小学校に勤めていた小林幹先生が飛騨の伝説を教え子達に集めさせて本にまとめた時、ロンドン橋の話を翻案し『味噌買橋の話』として挿入したのが、余りにうまくできているため日本民話の中にまでとりあげられるようになり、かつてテレビの『日本昔ばなし』でも放映されました。 − 昔、丹生川村の沢上というところに炭焼きの長吉という男がいた。長吉は、正直者でとてもよく働いた。 ある夜夢に誰か出てきて、『おい長吉、高山の味噌買橋の上で立っておれ。いいことがあるぞよ』と教えてくれた。長吉は朝起きるなり炭を背負って出かけ、その炭を売り払ってから味噌買橋へいって立っていた。 五日間も立っていたが何もいいことがなかったので、もう帰ろうかなと思っていると近くの豆腐屋のじじいが、『おめえは、もう長いことそこに立っておるが、どうしたんやの』と声をかけてきた。 そこで長吉は夢の話をすると、豆腐屋は『夢の話を真に受けるばかがあるか。おらもこの間夢を見たが、丹生川村の沢上というところの長吉の家の裏に杉の木がある。その木の根もとを掘ると、金銀宝物がどっさり出てくるとな。でも、そんな夢おらは真に受けん。ばかじゃないから…。』それを聞いた長吉は、えっと驚くなり自分の家へ走って帰った。そして、裏庭の杉の根もとを掘ったところ、本当に金銀宝物があふれるように出て、村一番の長者になった…。という話です。
高山の中央を流れる宮川の中橋詰めに高山陣屋があります。そこは飛騨国主金森氏の向かい屋敷として建てられ、金森氏が徳川幕府によって出羽の国へ移封されてから、江戸幕府の代官が派遣されるようになり、代官所と呼ばれていました。 明治維新までの約180年間、そこに勤める代官・郡代を飛騨びとは殿様と呼んでいました。 ある時、殿様の娘が猫を大変かわいがっていました。どこへ行くにも娘は猫を連れていき、猫も娘のそばを離れようとしませんでした。 ある日娘が裏庭に出て池の鯉を眺めていると、猫がしきりと娘にまといつき、娘の袂や裾をくわえて引っ張り、叱っても叱ってもやめようとせず、それどころか益々激しく娘にからんでいくので、このままでは娘に危害が及ぶと思ったお供の者が、一刀のもとに猫の首を打ち落としました。 すると切られた首は、飛び上がって頭上の松の大木に巻きついて娘を狙っていた大蛇の首に噛みつき、大蛇もろともドスリと落ちてきました。 この時初めて、猫が娘を守るためその場から 離れさせようとしていたことを知りました。 命にかけて娘を守ってくれた猫のために、庭の隅にねんごろに埋め墓じるしとして石を置きました。これが、現在も陣屋の裏通りに廻ると見ることができる猫石です。
高山市内の松本町に、宮川を背にした小さなお宮があります。そのお宮は加茂神社 なんですが、地元では盗人神様と呼ばれています。 それは昔、ある盗人が盗みに失敗して村人に追われて、加茂神社まで逃げてきました。この神社は川沿いの土堤にあり、後ろには川が流れ周りは数本の杉の木があるだけで 、どこにも隠れる場所がありません。 村人たちは追い込んだ盗人を捕まえようと、神社に踏み込みました。 ・・・が、盗人の姿はどこにもありません。 不思議に思う村人達の間から「きっと神様が盗人をかくまったんや」とか「神様が盗人やったんや」 と言われるようになり、それからこの神社を盗人の神様と呼ぶようになりました。


